5ヶ月の沈黙の終わり|限界を超えて送った本音のメールと、閉ざされた対話
いつまで待ち続ければいいのか。限界を超えて送った「本音のメール」
彼女が休職してから数か月が過ぎた頃、同じ部署の先輩であるMさんが、もう一度総務へ事情を確認するよう働きかけてくれました。
それまで会社は、彼女の「怖かった」「精神的につらかった」という訴えを受け止めているように見えましたが、Mさんは「感情だけではなく、具体的な事実を確認すべきではないか」と考えてくれたのです。
再び行われた確認では、「人格を否定するような発言があったのか」「実際にどのような言葉が交わされたのか」といった、これまで曖昧だった部分について、一つずつ事実確認が進められました。
その過程で、Mさん自身も大きな衝撃を受けていました。
彼女が入社当初から繰り返し話していた生活苦や経済的な事情を信じ、会社へ正社員登用の相談までしていたMさんは、後になって、その話の多くが実際とは異なっていたことを知ったからです。
同棲による家賃の折半。
日常的な会社への不満。
周囲には見えていなかった一面。
その事実を知った時のMさんの表情は、今でも忘れることができません。
それでも、会社から私への連絡はありませんでした。
再ヒアリングが行われた後も、何も変わらないまま時間だけが過ぎていきました。
私にとって一番苦しかったのは、「何も分からないまま待ち続けること」でした。
今日なのか。
明日なのか。
また突然呼び出されるのではないか。
そんなことばかり考えながら出勤する毎日は、仕事そのものよりも精神的な消耗が大きかったように思います。
「もうヒアリングはしない」という宣告。会社が対話を拒破した瞬間
そして3月12日。
私はとうとう、自分の中で張り詰めていたものが限界を迎えました。
直属の部長であるRさんへ、一通のメールを送りました。
内容は責任追及ではありません。
会社への不満を書き連ねたものでもありません。
ただ、自分が置かれている状況を率直に伝えたものでした。
「毎日仕事に来るたびに、『今日は呼ばれるのか』『明日なのか』と考えてしまい、周囲の出来事すべてが悪い方向に見えてしまいます。」
「このまま何も分からない状態が続くことが、とてもつらいです。」
そんな気持ちを、できる限り冷静な言葉で伝えました。
返ってきた返事は短いものでした。
「今、総務に確認したところ、ヒアリングはしないとのことです。いろいろ考えさせてしまい、すみません。」
それだけでした。
その文章を読んだ瞬間、不思議なくらい頭が冷たくなる感覚がありました。
怒りではありません。
悲しみとも少し違います。
「ああ、もう結論は変わらないんだ。」
そんな思いだけが静かに胸へ落ちてきました。
会社はもう、新たに私の話を聞くつもりはない。
そう理解した瞬間でした。
突然の宣告|終業直前の呼び出し。総務が突きつけてきた「業務減少」という建前
突然切り出された「3月末での契約終了(雇止め)」
その翌日。
仕事はいつもと変わらず始まり、いつもと変わらず終業時間が近づいていました。
ところが勤務が終わる直前、総務から会合室へ来るよう呼ばれました。
その瞬間、「この日が来た」と思いました。
部屋に入ると、総務から静かに告げられたのは、
「業務減少のため、3月末をもって契約終了となります。」
という説明でした。
いわゆる雇い止めです。
理由は「業務減少」。
説明はそれだけでした。
私は一つだけ確認しました。
「これは、彼女の件とは本当に関係ないと言えるのでしょうか。」
遠回しな言い方ではありません。
自分が一番知りたかったことを、そのまま質問しました。
総務は表情を変えることなく答えました。
「はい。関係ありません。」
その言葉を聞きながら、私の頭には様々なことが一瞬で浮かびました。
少し前に、新しく20代前半の男性アルバイトが入社していたこと。
私が担当していた専門的な検査業務を引き継げる人がほとんどおらず、現場はむしろ忙しくなるはずだったこと。
「業務減少」という説明と、自分が見ていた現場の状況とが、どうしても一致しませんでした。
もちろん、それを一つひとつ反論することもできたかもしれません。
ですが、その時の私は別のことも考えていました。
もしここで会社へ食い下がったとしても、ゆくゆくは社員として育てていく若い人材と、40代のパートである自分を比べながら反論する姿は、ただ惨めに映るだけではないだろうか。
そう思った瞬間、言葉が出なくなりました。
悔しくなかったわけではありません。
納得できたわけでもありません。
それでも私は、
「分かりました。」
そう答えるしかありませんでした。
その返事をした時、自分が負けを認めたとは思っていません。
ただ、この場で何を言っても、会社の結論が変わることはない。
それだけは、はっきりと理解していました。
五か月間抱え続けてきた不安は、この日ようやく終わりました。
しかし、その終わりは、決して納得できる形ではありませんでした。
会社が示したのは「業務減少」という理由でした。
一方で私の中には、最後まで消えることのない疑問が残りました。
あの日の出来事と、この雇い止めは、本当に無関係だったのだろうか。
その答えを知ることは、最後までありませんでした。
事務所で流した本物の涙。明かされた復帰話と「業務減少」の説明への疑問
総務との面談を終え、私は静かに事務所へ戻りました。
雇い止めを告げられたばかりにもかかわらず、不思議と涙は出ませんでした。
総務部長の前では、最後まで泣かないと決めていたからです。
どれほど納得できなくても。
どれほど悔しくても。
その場で感情をぶつけることだけはしたくありませんでした。
そんな気持ちで事務所の扉を開けると、そこには思いがけない光景がありました。
味方になってくれていた先輩のMさんと、総務の女性社員が涙を流していたのです。
二人は、私が雇い止めになることを事前に知らされていました。
だからこそ、私の顔を見るなり、
「本当にごめんね。」
「どうにもできなくて、本当に申し訳ない。」
そう言いながら涙を流してくれました。
その姿を見た瞬間、それまで張り詰めていた気持ちが一気にほどけました。
総務との面談中は、どこか冷静でいようと自分に言い聞かせていました。
しかし、自分のことのように悔しがってくれる人が目の前にいる。
その事実だけで、必死に保っていた心の均衡は崩れてしまいました。
私はその場で初めて涙を流しました。
会社の判断に対してではありません。
「自分のことを信じてくれていた人がいた。」
その安心感が、涙になってあふれたのです。
もちろん、会社の上層部が下した判断に納得できたわけではありません。
それでも現場には、私が見てきた出来事を知り、日頃の仕事ぶりを見てくれていた人たちがいました。
そのことだけが、あの日の私にとって唯一の救いでした。
そして、その時。
Mさんたちは、これまで言えずにいた事実を静かに打ち明けてくれました。
「実は……4月から彼女が職場へ戻ってくることになっているの。」
私は一瞬、言葉を失いました。
頭の中で、それまで会社から説明されていた内容が一気につながりました。
私が雇い止めになる理由は「業務減少」だと説明されていました。
しかし、その一方で休職していた彼女は復職する予定になっていたのです。
もちろん、会社には私の知らない事情や判断材料があったのかもしれません。
そのため、私は会社の意図を断定することはできません。
ただ、当時の私には、その説明を素直に受け入れることができませんでした。
現場では新しい人材も採用されていました。
私が担当していた業務も残っていました。
そうした状況を知っていたからこそ、「業務減少」という説明と現実との間に、大きな隔たりを感じたのです。
あの日、私は会社から正式な理由を聞きました。
しかし心の中には、それとは別の疑問が最後まで残り続けました。
その疑問が解消されることは、ありませんでした。
絶望の果てに感じた「やっと解放される」という本当の気持ち
会社を出た帰り道のことは、今でもはっきり覚えています。
雇い止めを告げられたばかりなのですから、本来なら絶望だけが残っていても不思議ではありません。
これからどうしよう。
収入はどうなるのだろう。
家族に何と話そう。
現実的な不安は次々と頭に浮かびました。
ところが、その不安とは別に、自分でも予想していなかった感情が少しずつ湧き上がってきたのです。
「やっと終わった。」
「やっと、あの毎日から解放される。」
そんな思いでした。
その瞬間になって初めて、自分がどれほど限界まで無理をしていたのかに気づきました。
毎朝、「今日は呼ばれるのではないか」と身構えながら出勤していたこと。
ロッカーやトイレで涙をこらえ、鏡の前で何度も表情を整えてから職場へ戻っていたこと。
昼休みになると、一人で外へ出て気持ちを落ち着かせていたこと。
好きな音楽を聴きながら走り、呼吸を整え、整体へ通いながら何とか体を支えていたこと。
それらはすべて、「働き続けるため」ではなく、「壊れないため」に続けていた行動でした。
私は、普通に働いているつもりでした。
ですが、本当はもう、普通ではいられなくなっていたのです。
だからこそ、会社を辞めることは負けではありませんでした。
あの時の私にとって退職とは、敗北ではなく、自分の心を取り戻すための区切りだったのだと思います。
もちろん、理不尽だったという思いは今でも消えていません。
もっと違う終わり方があったのではないかと考えることもあります。
それでも、この経験を抱えたまま立ち止まり続けるつもりはありませんでした。
この出来事を無駄な時間で終わらせたくない。
同じように職場で苦しんでいる誰かが、「自分だけではなかった」と思える記録にしたい。
そんな気持ちが、少しずつ芽生えていきました。
理不尽な終わり方だったからこそ、この経験には意味を持たせたい。
その思いが、私に新しい一歩を踏み出す力を与えてくれました。
そして今、こうして当時を振り返りながら文章を書いていること自体が、私にとっては「あの日の終わり」が、本当の意味で次の人生の始まりだったことを教えてくれています。



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